前橋地方裁判所 平成2年(ワ)104号 判決
原告
森下まさ子
同
森下浩美
同
森下茂生
右法定代理人親権者母
森下まさ子
原告
大澤定秋
同
大澤友枝
右五名訴訟代理人弁護士
石川憲彦
同
小林勝
同
池末登志博
同
高野典子
同
杉原信二
同
春山典勇
被告
国
右代表者法務大臣
三ケ月章
右指定代理人
伊藤一夫
外一〇名
被告
群馬県
右代表者知事
小寺弘之
右訴訟代理人弁護士
田中登
同
加藤文郎
右指定代理人
佐藤進
外五名
右両名指定代理人
小林政敏
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告らは、連帯して、原告森下まさ子に対し、金三三九二万九八三七円、同森下浩美及び同森下茂生に対し、それぞれ金一六九六万四九一九円、同大澤定秋及び同大澤友枝に対し、それぞれ金一三八八万四八五四円並びに右各金員に対する昭和六二年七月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、集中豪雨により河川に流出した杉立木が道路橋の橋台又はその付近に引っ掛かったことから、右豪雨による増水と相俟って、右橋を落橋させたところ、折から通行中の自動車が川に落ち込んでその運転者らが死亡した事故につき、その遺族である原告らが、国家賠償法(以下「国賠法」という。)に基づき、被告国に対し、主として河川の管理に瑕疵があったとして、被告群馬県(以下「被告県」という。)に対し、主として道路橋の設置・管理及び河川の管理に瑕疵があったとして、それぞれ損害賠償を請求した事案である。
一争いのない事実
1 当事者
(一) 森下信男(昭和二〇年八月一六日生、以下「亡信男」という。)及び大澤美穂(昭和三八年一二月二八日生、以下「亡美穂」という。)は、昭和六二年七月一四日、死亡した。
(二) 原告森下まさ子は、亡信男の妻であり、同森下浩美及び同森下茂生は、亡信男の子である。
(三) 同大澤定秋及び同大澤友枝は、亡美穂の父母である。
2 鏑木川及び鏑木橋の営造物性
(一)(1) 鏑木川は、群馬県勢多郡新里村大字板橋字山田地先の山田橋を上流端とし、同県佐波郡赤堀町今井地先における一級河川粕川との合流点を下流端とする河川であり、一級河川利根川水系の一級河川に指定されており(河川法四条一項の水系及び一級河川を指定する政令〔昭和四〇年政令第四三号〕)、被告国が、公の営造物として管理すべき河川である。
なお、鏑木川は、昭和四〇年建設省告示第九〇一号により、全川にわたって河川法九条二項の指定区間に指定されており、鏑木川の管理は、工事の実施基本計画を定めること等同法施行令二条各号に掲げるものについては建設大臣が行い、それ以外の例えば河川工事の施行等は、群馬県知事が建設大臣の指揮監督の下に国の機関委任事務として行っている。また、鏑木川の巡視等を被告県の桐生土木事務所の職員が行っていた。
(2) 被告県は、鏑木川が一級河川に指定された昭和四〇年以降、河川法六〇条二項、六一条により、鏑木川の河川管理について一定の費用負担を法令上義務付けられることになったため、国賠法三条一項により費用負担者として賠償責任者の地位にある。
(二) 鏑木橋は、昭和六二年七月一四日当時、那須火山帯一の高峰赤城山の南東山麓の傾斜地に設置されている県道大間々宮城子持線(以下「本件県道」という。その後国道三五三号線に指定。)が、鏑木川と交差する海抜約三〇〇メートルの地点(〈番地略〉)に架橋されていた道路橋であり、被告県が、公の営造物として、設置・管理すべき橋梁である。なお、鏑木川付近の状況は、別紙図面二記載のとおりである。
3 鏑木橋の落橋
鏑木橋付近の七月ころの気候は、高温多湿で、南東の風が緩く吹き、比較的、雨量は豊富であるところ、昭和六二年七月一四日夕刻は、赤城山一帯に雷雨があり、鏑木川流域でも雷を伴う大量の降雨があった(以下「本件降雨」という。)。そして、その降雨量は、大間々町における記録では、午後六時から一〇時までの四時間の間に一〇五ミリメートル、鏑木橋の最寄りの建設省河川情報センター苗ケ島観測所(以下「苗ケ島観測所」という。)における記録では、同日午後六時から七時までの一時間に七五ミリメートルであった。
鏑木橋は、本件降雨による鏑木川の増水中に、その橋台が倒壊して落橋した(以下「本件落橋」という。)。
二原告の主張
1 事故の発生(事故の態様)
亡美穂及び亡信男は、昭和六二年七月一四日午後七時三五分ころ、本件県道上の鏑木橋に、亡美穂においては、友人の運転する普通乗用自動車の助手席に同乗して大間々方面から、亡信男においては、自ら普通乗用自動車を運転して反対方向の宮城村方面からそれぞれ差し掛かったものであるが、それが本件落橋時あるいはその直後であったため、右各自動車もろとも鏑木川に転落し、その結果、窒息により死亡した(以下「本件事故」という。)。
2 鏑木橋及び鏑木川の設置及び管理の状況
(一) 鏑木橋及び鏑木川の位置並びに付近の地形、気候の状況
(1) 鏑木橋の存在した群馬県勢多郡新里村大字板橋付近、すなわち、鏑木橋上流の鏑木川流域は、全体として赤城火山の噴出物の角礫や火山灰の凝灰岩に覆われており、特に、本件事故現場付近は、その深部に古生層のチャート(珪岩)や粘板岩が分布していて、その上に赤城山からの火山噴出物が覆い、火山角礫及び凝灰角礫岩となって堆積していて、地勢は複雑である。さらに、鏑木川の両脇には厚さ二ないし四メートル程度のローム層が軽石層を挾んで分布しており、この地層は容易に浸食されてしまう土質である。
(2) 鏑木川流域は、昭和五〇年ころまでは、楢、くぬぎ等の雑木に加え、植林による杉等が手入れされ、そのため洪水の抑制作用が働き、台風や雷雨の際の大雨の折にも、鉄砲水や土石流等は少なく、ほとんど水害もなかったことから、地形・地質は落ち着き、土砂崩れ等は起きにくいと見られていた。ところが、昭和五〇年代以降、鏑木川流域の上流は、ゴルフ場、別荘地、あるいは道路等の施設の開発等のため、水の流れが変わって水の出も急となり、自然浸食の急激な進行に加え、これに伴う土石流の発生や沖積地の出現をみるに至った。また、昭和五〇年以降、別紙災害目録Ⅱ記載のとおり、それ以前にはほとんどなかった鏑木川の河岸決壊が相次ぎ、本件事故前に四度も河岸の決壊が生じた。しかも、この四件の河岸決壊は、その工事費用に照らすと、極めて大きな災害と評価し得るものであった。
(3) 鏑木橋上流約五〇メートルの川岸には、杉林があり、しかも、同所の地盤は、ローム層から成っていたものであるが、右川岸の護岸工事は全く施工されていない状況であった。
(二) 鏑木橋及び接続する本件県道の構造及び状況
(1) 鏑木橋の構造
鏑木橋は、昭和二二年、カスリン(キャサリン)台風で従前架設されていた旧橋が倒壊・流出した直後に架橋されたものであって、その構造は、別紙図面一記載のとおりの形状を有し、その下部構造は、いわゆる「重力式」を採用し、その上部構造はT桁橋といわれるコンクリート製の橋梁であり、橋桁の長さ約5.6メートル、橋幅は約5.9メートル(有効車幅4.6メートル、取付け道路の幅員5.5メートル)あり、橋桁を支える橋台の高さは約五ないし六メートル、左右の橋台間の距離は、川底部で約三メートル、橋桁部で約3.5メートルであったが、本件事故当時は、架橋後約四〇年を経過し、表面にヒビ割れが出たり、取付け道路が傾斜しているなど老朽化していたものである。
また、鏑木橋の取付け護岸は、元来玉石積みのものであったが、その後の改修を経て、別紙図面二記載のとおり、鏑木川下流に向かって右側(右岸側)は、橋台付近の上流直近部分に玉石積みの取付け護岸が存在したほか、その余の部分は南北に建築ブロックの護岸が設置され、左側(左岸側)の橋台の上下直近付近は、建築ブロックはなく、南北に玉石を積み重ねただけの取付け護岸が設置され、その各先には建築ブロックの護岸が設置されている構造となっていた(以下、玉石積みの護岸を「玉石護岸」、建築ブロックの護岸を「ブロック護岸」という。)。このような護岸設置の状況となったのは、鏑木橋の取付け護岸全部がもともと玉石積みのものであったところ、昭和五七年ころ上流部両岸の玉石護岸が崩壊したことから、被告県が、昭和五八年二、三月ころ、鏑木橋橋台付近の玉石護岸を上流数メートルの間残存させてブロック護岸の設置を施すとともに(以下「本件河川工事」という。)、同時期に、河川法一九条の附帯工事あるいは道路法四二条の規定により、同橋の南西側である鏑木川右岸の道路の路肩部分にも該当する箇所に建築ブロックを被せて、コンクリートブロックによる袖石積み工事を施した際に生じたものである。なお、右ブロック護岸や、玉石護岸の面と鏑木橋(以下「鏑木橋」という場合には、取付け護岸部分を除く。)の橋台の面とは玉石護岸の面から橋台が突出する形で段差を構成し(以下「本件段差」という。)、上流からの流失物が引っ掛かり易い構造となっていた。
(2) 鏑木橋に接続する本件県道の状況
鏑木橋に接続する本件県道の状況は、概ね別紙図面二記載のとおりであって、大間々方面から本件県道を進行すれば、鏑木橋に差し掛かる直前、本件県道は大きく右にカーブし、鏑木橋はちょうど本件県道が湾曲した頂点の窪地部分に位置することになり、反対に、宮城方面から大間々方面に向けて本件県道を進行しても、鏑木橋に至る直前で大きく左にカーブし、鏑木橋はやはり湾曲した頂点に位置していた。そして、鏑木橋にはガードレールしかなく、川幅も狭いので、本件県道からは川面の流水が見えず、村内の人でなければ、一見、橋とは判断できないような状況であって、橋や川の存在も見落して通り過ぎるようなところであり、同橋を通過中は勿論のこと、仮に通過前に橋が落ちていても、これを発見して本件事故を回避し得る状況にはなかった。また、本件事故当時、鏑木橋付近は雑草が繁茂していた。
なお、被告県は、昭和五七年から、古くなった鏑木橋の架替工事を同橋の下流(南)約三〇メートルの地点で開始し、昭和六〇年には新しい橋(以下「新鏑木橋」という。)を完成させていたが、新鏑木橋を開通させたのは、本件事故の翌一五日午前九時であった。
3 本件事故の原因(発生機序)
(一) 本件事故の原因となった本件落橋は、概要次の経過で発生した。
本件降雨の雨水が大量に鏑木川に流入して水嵩を増し、若干の土石流を惹起するとともに、鏑木橋上流約五〇メートルの川岸の杉林の地盤を浸食したため、太さ約二〇センチメートル、長さ約一〇メートルの杉立木等が、手入れされておらず普段から傾斜していたこともあって、両岸から倒壊して河水内に流入し、そのうちの杉立木十数本や土石等が鏑木橋左岸上流部の本件段差に係留し、同橋の手前で幾分の水流を堰き止めるような形となって、急な土石流を作り出した。
右土石流は、普段から緩んでいた両岸の玉石護岸に対し、堰上げ背水や逆流圧等を加えた。特に右岸橋台付近においては、玉石護岸とブロック護岸との間の継ぎ目部分(以下「本件継目部分」という。)に対する局所洗掘流となって法面を穿って土砂をえぐりとり、徐々に右岸橋台背部の土留壁を浸食するとともに、水分を右岸橋台の背面土部分に浸潤させた。右浸潤した水分は、徐々に増え、橋台の川岸への粘着力を減殺するとともに、下流の建築ブロックの被せられた部分が、いわば蓋となってその流出を妨げたことから、相当な圧力となり、右土石流とともに、橋台の背面から浸食を進行させ、先ず橋台を、次いで橋桁を倒壊させたか、あるいは、橋桁がその圧力で二つに折れて落下し、次いで橋台部を倒壊させるに至った。しかし、鏑木川は氾濫した訳でも、鏑木橋が冠水した訳でもなかった。
(二) なお、本件降雨の雨量は、前記争いのない観測雨量のほか、前橋地方気象台の観測によると、本件事故当日午後六時から午後一〇時までの四時間の間に、本件事故現場付近で四八ミリメートル、また、苗ヶ島観測所では、一晩で一〇ニミリメートル程度と記載されているもので、鏑木橋の架けられた鏑木川流域における最大雨量は、一時間四〇ミリメートル程度であった。しかしながら、右降水量は、群馬県における大正元年から昭和五六年の間の上位五件の降水量(一時間当たり)が昭和三〇年八月六日の94.0ミリメートル、昭和五二年七月二六日の82.0ミリメートル、昭和三七年八月二八日の81.4ミリメートル、昭和三六年八月一八日の81.4ミリメートル、昭和一五年九月六日の79.0ミリメートルであることに照らすと、決して未曾有の大雨とはいえず、被告らにおいて、十分予測可能な範囲のものであった。
4 被告らの責任
(一) 被告国の責任
鏑木川には、以下のとおり、管理者である被告国による管理の瑕疵が存在し、営造物として本来具有すべき安全性が欠けていた。
(1) 護岸工事を尽くしていない物理的な瑕疵
財政的制約・社会的制約があるとしても、現実に浸食され易い河岸や後背地については、普段からその点検・補修をすることが大切であるところ、前記のごとく、鏑木橋上流約五〇メートル付近は、杉林が川岸に迫り、水流が増すと、両川岸が浸食され、杉立木や土石を容易に鏑木川に流出させるおそれのある危険な箇所であって、降雨量によっては同所からの杉立木、土石等の流出に伴う鏑木橋の損壊等災害の発生する危険性が存在した。このことは、本件事故当時河川巡視員としてパトロールの任に当たった須藤實においても確認し、上司にパトロール日誌として報告していた。
しかるに、被告国は、右箇所に全く護岸工事等を施工せず、また、河川法三条二項但書により所有者の同意を得て川岸の杉立木を伐採することもなく、これを放置していた。
なお、右須藤實が指摘するように、被告国においても、杉立木や土石の鏑木川への流出に伴う鏑木橋の損壊等災害の発生することを予期し得るものであった。
(2) 本件段差及び本件継目部分を生じさせ放置した瑕疵
鏑木橋左岸橋台付近の本件段差は、川幅が狭く、同橋付近の流れが常時急であることと相俟って、鏑木川に流される流出物が引っ掛かり易くなっていた。また、本件継目部分は十分な強度を備えていないものであった。そのため、鏑木橋が、既に時代遅れの橋で老朽化が進んでいたこともあって、右流出物の本件段差への係留による河川の流水の妨げに伴う本件継目部分の損壊を惹起するなどして、ひいては鏑木橋の損壊等災害の発生する危険性が存在していた。
しかるに、被告国は、河川管理の一環として、自ら、あるいは、河川法七五条二項三号、五号に基づいて被告県に指示することにより、右のような危険性を除去することができたのに、その後もそのままの状態で放置していた。右の本件段差及び本件継目部分を含む玉石護岸を除去・改修すべき義務は、河川法三条二項但書によって影響を受けるものではない。
なお、被告国においても、右流出物の係留による河川の流水の妨げに伴って鏑木橋の損壊等災害の発生することを予期し得るものであった。
(3) 鏑木川流域の監視を怠っていた瑕疵
鏑木川上流のゴルフ場や道路施設の建設・開発等の影響による河川流域の変化に伴って、土石流の発生等水害の危険性が生じていた。
しかるに、被告国は、それに伴って必要となる監視を怠り、鏑木橋を含む鏑木川上流部について、河川法六条一項三号の河川区域指定すらしていなかった。このことは、鏑木川の重要性にかんがみると、被告国の管理者としての怠慢といわざるをえない。
(二) 被告県の責任
鏑木橋には、以下のとおり、管理者である被告県による設置・管理の瑕疵が存在し、営造物として本来具有すべき安全性が欠けていた。
(1) 鏑木橋の設置・管理の瑕疵
① 鏑木橋の構造に由来する設置の瑕疵
道路及び橋梁の設置に関しては、別紙法的規制記載のとおり、明治九年の太政官布告(第六〇号)以来法的な規制が設けられ、変遷を重ねてきたものであって、鏑木橋も、右規制に従って道路橋として落橋することのないような設計・施工をするべきものであった。
しかるに、鏑木橋は、前記のとおり、橋桁が橋台に載せられただけの重量式という旧式の構造をとり、その形状は、本件段差の部分に流木が係留しやすく、橋台の突出部分への水圧は相当なものとなり得るうえ、架橋位置も、道路の曲線部・窪地部分であって車両通過時に相当な重力を負担してしまう構造上の問題を有するという具合に、現実に落橋してしまうような危険性のある設計・施工がなされていた。
② 鏑木橋が法的基準を充たすように補強・改修しなかった管理の瑕疵
道路橋等の橋梁は、その設置当時に法的な安全基準を充たしていたとしても、その後の交通量等の変化に応じた安全性を有しない限り、その瑕疵を否定できないものであるところ、仮に鏑木橋が架橋当時の「道路構造ニ関スル細則案」等の基準に則って架橋されたものであったとしても、本件事故当時は鏑木橋自体架橋後約四〇年を経過し、前記のとおり、表面にヒビ割れが出たり、取付け道路が傾斜しているなど部材が損耗し、損傷・老朽化が進行していたうえ、鏑木橋を取り巻く環境も、鏑木川上流のゴルフ場開発等に伴う水量の増減等や車両の重量化、大型化といった変化を来していた。
その間、鏑木橋が架橋された昭和二二年ないし二七年当時の「道路構造ニ関スル細則案」、「鋼道路橋設計示方書」等の法的な安全基準は、昭和三一年に荷重体系がTL荷重に変更され、また、昭和三三年の旧道路構造令及び昭和四五年の現行道路構造令の各制定によって、橋梁の各種安全施策(例えば、歩道の設置、幅員の確保、道路傾斜等。)が要求されるようになって変化していた。
また、一旦設置された道路・橋梁の維持・修繕の規制については、道路法が、「道路管理者は、道路を常時良好な状態に保つよう維持し、修繕し、もって一般交通に支障が及ばないよう努めなければならない。」(同法四二条一項)とし、「道路の維持又は修繕に関する技術的基準その他必要な事項は、政令で定める。」(同条二項)旨規定しているところ、右政令はいまだ施行されていないため、政令制定までの間は、従前の旧道路法三一条に基づく道路維持修繕令(大正一〇年内務省令第一五号)によるものとされているほか、その後の道路、交通の状況の変化に伴い、必要な道路管理の基準として、通達である「道路技術基準(第九編維持修繕・昭和三七年三月二日道発七四の二)」、「道路の維持修繕等管理要領(昭和三七年八月二八日道発三六八)」(以下併せて「道路技術基準」という。)が政令に代わるものとして運用されており、更にそれを補足するものとして通達である「直轄維持修繕実施要領(昭和三三年六月・最終改正昭和三七年一〇月会議資料)」(以下「修繕要領」という。)が発せられている。昭和四一年には、社団法人日本道路協会(以下「道路協会」という。)が、車両の重量化、大型化、交通量の増大という時代の変化に適応するため、「道路維持修繕要綱」(以下「修繕要綱」という。)を刊行し、以後、これが道路管理者の道路管理の重要な基準・指針として運用されている。右修繕要綱は、道路橋についても相当詳しく定めているが、道路橋は、とりわけ架橋されてからの期間、使用年数に応じて、材料の疲労や不慮の事故のため部材の損傷を生じ易く、補修工事が必要となる場合が多く、かつ、補修工事は損耗の原因、程度、位置、橋梁を取り巻く環境に応じ、具体的な対応工事が必要なところから、道路協会は、昭和五四年二月、当時の科学技術の水準に基づいた「道路橋補修便覧」(以下「補修便覧」という。)を刊行している。これらの道路法四二条一項、二項を受けた各通達、修繕要綱、補修便覧は、道路管理者が守るべき最低限度の基準を示したものが多く、道路管理者が守るべき義務を示すものといえるため、道路管理者の重要な基準・指針として、これに基づく現実の道路及び道路橋の管理の実務が行われているところである。
しかるに、被告県は、これらの事情を踏まえながら、右法的基準の定めるところに従い、かつ、現実の交通量の増大等に見合った安全性の確保に努めるべく、補強工事をするなど道路の維持・修繕又は改築を施さなかったため、鏑木橋自体が老朽化し、些細な災害により落橋してしまう危険性が生じていた。
なお、被告県においても、右諸事情に照らして、鏑木橋自体が老朽化し、些細な災害により落橋してしまうことを予測し得たものである。
③ 保守点検作業上の瑕疵
道路管理者は、先ず適切な点検をし、道路・橋の現状を正確に把握しない限り、異常や危険を発見し、その原因を調査して必要な修繕を行うことは不可能であるから、道路の維持・修繕をなすうえで、点検することが最も基本的な義務となるところ、修繕要領及び補修便覧等は、別紙点検要領記載の各種の点検を必要に応じて実施し、右点検によって判明した事項、処理状況を記録し、管理しておくべきことを定めている。すなわち、補修便覧は、道路橋の点検につき、都道府県が管理している道路は週に一ないし三回、道路の重要性に応じた巡回点検が必要である旨を定め、修繕要領は、道路の維持・修繕の担当出張所所員(本件の場合は桐生土木事務所)の職務として、出張所長については、道路・道路橋の設計書・示方書・事務処理規程等に精通しておくこと、担当区間を週に一回以上巡回し、道路の状況及び維持修繕の実施状況を正確に把握しておくこと、橋梁及びその他の構造物については、三か月に一回その状態を綿密に調査しなければならないことを、出張所の技術主任については、毎月巡回し、道路・橋梁の状況を把握すべきこと、橋梁については少なくとも一か月に一回はその状態を綿密に調査しなければならないこと、更に道路の状況・維持修繕の実施状況について各種の記録を整備しておかなければならないことをそれぞれ定めている。なお、道路橋については、補修便覧が、個々の橋梁ごとに橋梁台帳を作成し保存整備することを心掛けるように指摘している。
しかるに、被告県は、鏑木橋を管理し、維持・修繕を実施するうえで必要な橋の設計図を保存・備付けていないばかりか、これに代わるような綿密な現況の調査等を尽くすこともなく放置していた。
そのため、被告県は、前項②の危険性を発見することができなかった。
④ 新鏑木橋を老朽化した鏑木橋に代えて供用しなかった管理の瑕疵
さらに、被告県は、右のとおり老朽化した鏑木橋を架け替えるべく、新鏑木橋を架橋し、同新橋は、昭和六〇年ころには完成していた。したがって、被告県は、老朽化した鏑木橋を通行の用に供することなく、新鏑木橋を道路として供用し、鏑木橋の落橋に伴う交通の危険性を解消するように管理すべきであったのに、これをしなかった。
(2) 本件段差及び本件継目部分の設置・管理の瑕疵
そもそも、河川流域の河岸の工事を行う際には、当然のことながら、従前の土石流や工事による水圧の河岸に与える変化に大きな注意を払わなければならないところ、鏑木川上流の河岸やその後背地は、浸食され易い地質で覆われ、本件降雨程度の予測可能な降雨量でさえも杉木等が河水内に流出してしまう状況にあったし、本件河川工事の結果、鏑木橋付近の水流が変化し、その具合によっては、水流が本件河川工事を施した箇所、ことに本件継目部分を洗うことがあり得た。
しかるに、被告県は、このような状況の下で、本件河川工事として、鏑木川の従前の玉石護岸が崩壊した部分について応急処置を施しただけで、橋台との接続部分まで含めた総ての玉石護岸の部分をコンクリートで平らに補修せず、本件段差を残存させたままであったうえ、従前のまま残された玉石護岸とブロック護岸との間に生じた本件継目部分が必要な強度を持つように施工せず、また、鏑木橋の下流右岸を建築ブロックで塞いだ。その結果、右流木等が、鏑木橋の橋台間の間隔が狭いことと相俟って、本件段差に係留することや、鏑木橋付近の水流が本件河川工事により生じた本件継目部分に当たる危険性が生じ、これらの危険性は、ひいては鏑木橋を落橋させる危険性をも有するものであった。
しかも、被告県は、本件河川工事後も、右工事箇所の上下の河岸の水流や水圧の変化、更には残された玉石護岸の部分の緩み、崩壊の危険性に注意を配らなかった。
なお、被告県においても、鏑木川上流の河岸やその後背地が浸食され易い地質で覆われ、降雨により杉木等が河水内に流出し、これが鏑木橋の本件段差に係留することや、本件河川工事の結果、鏑木橋付近の水流が変化して、本件継目部分に水流が当たること、ひいては、鏑木橋を落橋させることを予想し得たものである。
(3) 鏑木川の管理の瑕疵
被告県は、鏑木川の管理が被告国から一部県知事に委任されていたことに伴い、鏑木川を管理すべき地位にあったところ、前記のとおり、鏑木川の河川管理には瑕疵が存在した。
(三) 被告国及び被告県の各責任の関係
本件事故は、前記のとおり被告国の河川管理の瑕疵等並びに被告県の鏑木橋及び本件段差の設置、管理の瑕疵等がそれぞれ競合して惹起されたものである。
5 原告らの損害
(一) 亡信男の損害
(1) 逸失利益・金五三八九万一四九六円
亡信男は、本件事故当時四一歳であり、同年齢の年間男子平均賃金四七〇万〇四〇〇円、稼働可能年数二六年間(新ホフマン係数16.379)、一家の支柱であるので、生活費控除三〇パーセントとして算出される。
(2) 慰藉料・金二二〇〇万円
亡信男が一家の支柱であったことを考慮すべきである。
(3) 葬儀費用・金一五〇万円
(4) 亡信男の損害の填補
原告森下まさ子、同森下浩美及び森下茂生は、亡信男が、通勤途上の事故で死亡したため、次のとおり、労災補償として合計金九六三万二一一四円の支給を受けた。
① 遺族給付金として、昭和六二年九月二五日に金三〇〇万円。
② 葬祭給付金として、同日に金三八万五二〇〇円。
③ 労災保険手当金として、同年一一月二日、昭和六三年二月一日に各金三〇万九五二五円、同年五月二日に金一四万八五五七円、同年八月一日に金二四万七六二五円、同年一一月一日、平成元年二月一日、同年五月一日、同年八月一日に各金二五万三三七五円、同年一一月一日、平成二年二月一日に各金二五万八九〇〇円、同年五月一日に金二五万一一六六円、同年八月一日に金二三万五七〇〇円、同年一一月一日、平成三年二月一日、同年五月一日、同年八月一日に各金二四万四五七五円、同年一一月一日、平成四年二月一日、同年五月一日、同年八月三日に各金二五万七九七五円、同年一一月二日に金二五万五四四一円、平成五年二月一日、同年五月六日に各金二一万七五二五円、さらに同年中に金五一万二八二五円。
(5) 弁護士費用・金四〇〇万円
(二) 亡美穂の損害
(1) 逸失利益・金三三七六万九七〇七円
亡美穂は、死亡当時二三歳であり、国際きのこ会館に勤務し、昭和六二年一月から六月までの一八一日間の収入は、金一〇四万三六二三円であった。これを年間に引き直すと、金二一〇万四五四三円となる。また、稼働可能年数四四年間(新ホフマン係数22.923)、生活費控除三〇パーセントとして算出される。
(2) 慰藉料・金一八〇〇万円
(3) 葬儀費用・金一〇〇万円
(4) 損益相殺・金二五〇〇万円
友人の普通乗用自動車の自賠責保険から、昭和六二年一一月一九日、亡美穂の父母である原告大澤定秋及び同大澤友枝に各金一二五〇万円が支払われた。
(5) 弁護士費用・金三〇〇万円
三被告国の主張〈省略〉
四被告県の主張〈省略〉
五争点
1 本件落橋の原因・態様
2 被告国の責任原因
(一) 本件河川部分の管理の瑕疵の存否
(二) 本件段差及び本件継目部分の管理の瑕疵の存否
(三) 鏑木川流域の監視についての責任の存否
3 被告県の責任原因
(一) 鏑木橋の設置・管理の瑕疵の存否
(二) 本件段差及び本件継目部分の設置・管理の瑕疵の存否
(三) 保守点検作業についての責任の存否
(四) 新鏑木橋を道路として供用しなかったことについての責任の存否
(五) 本件河川部分の管理の瑕疵の存否
4 本件事故の予見可能性の有無
(一) 本件落橋の発生機序についての予見可能性の存否
(二) 本件降雨の雨量についての予見可能性の存否
5 原告らの損害の有無及び数額
第三当裁判所の判断
一争点1(本件落橋の原因・態様)について
1 本件事故の態様
証拠(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。
亡美穂及び亡信男は、いずれも昭和六二年七月一四日午後七時三五分ころ、群馬県勢多郡新里村大字板橋四七三番地一先本件県道上の鏑木橋に、亡美穂においては、友人の運転する普通乗用自動車の助手席に同乗して大間々方面から前橋方面に向けて、また、亡信男においては、自ら普通乗用自動車を運転し、前橋方面から大間々方面に向けてそれぞれ差し掛かったものであるが、右二台の自動車は、本件落橋時あるいは落橋直後に鏑木橋を通行しようとしたため、鏑木川に転落し、その結果、亡信男及び亡美穂は、窒息により死亡した。
2 本件落橋の原因・態様
証拠(〈書証番号略〉、証人高橋午治、原告大澤定秋、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。
(一) 鏑木川流域は、昭和六二年七月一四日夕刻からの局地的な集中豪雨の影響により、雨水が大量に鏑木川に流入し、水嵩を増して洪水となり、土石流を惹起するとともに、鏑木橋上流約五〇メートルの天然河岸を浸食したため、山林(杉林)の一部が崩壊した。その結果、鏑木川に流入した流木や山林、河岸、河床等から生じた土石を含む洪水が流下し、そのうちの杉木十数本や土石等が鏑木橋左岸の橋台の上流部の本件段差付近に係留し(ただし、具体的な係留位置及び状況は不明である。)、鏑木橋の手前で河道を閉塞し、水流を堰き止めるような形となった。そのため、鏑木橋の上流には多量の土石や太さ約二〇センチメートル、長さ約一〇メートルの杉の流木等が堆積するとともに、同所には急激な土石流が発生した。
(二) そして、右土石流は、鏑木橋の上流で堰上げ背水及び付近の局所洗掘流となり、両岸の玉石護岸ないし本件継目部分に対し、堰上げ背水や逆流圧等を加え、たまたま水衡部となった右岸橋台付近の玉石護岸ないし本件継目部分の法面(ただし、具体的な洗掘位置・態様は不明である。)を直撃して土砂をえぐりとり同橋台の基礎部分を洗掘する一方、右岸橋台の背面土部分に水分が浸潤したことから、同部分の土壤が粘性を失って、洗掘浸食が促進された。そのうえ、下流のブロック護岸が、いわば蓋となってその流失を妨げたことから、橋台背部の土留壁の浸食と橋台の川岸への粘着力が減殺され、右岸橋台の背面部分が大きく浸食されるに至り、右岸橋台は左岸橋台方向に背面から圧力を受け、一時的には上部工が支柱として機能したため、その橋梁としての構造が支持されていたものの、やがて、パラペット(胸壁)のうち、右岸橋台のそれが圧力に抗し切れずに破壊したため右支柱を失って左岸橋台にもたれ掛かるように倒壊し、その上に道路面部分の上部工が落下したが、左岸橋台は倒壊することなく残存した。
しかし、その間、鏑木川の洪水面は鏑木橋の橋桁より比較的低い状態にとどまり、氾濫したり、鏑木橋が冠水したことはなかった。
二争点2(被告国の責任原因)について
1 争点2(一)(本件河川部分の管理の瑕疵の存否)について
(一) 河川管理の瑕疵の判断基準
(1) 被告国の管理すべき河川の範囲
被告国が自然公物として管理すべき「河川」は、一級河川及び二級河川並びにこれらの河川に係る河川管理施設であり(河川法三条一項)、右「河川」を構成する土地の区域(河川区域)の縦の限界は、上流端・下流端の区間を明らかにして同法四条一項、五条一項に基づく一級河川・二級河川の指定が行われることにより、横の限界は、同法六条一項一号ないし三号の規定により定まる河川区域からなる。
そして、一級河川は、国土保全上又は国民経済上特に重要な水系で政令で指定したものに係る河川(公共の水流及び水面をいう。)で建設大臣が指定したものをいい(同法四条一項)、その管理は、建設大臣が行うものであるが(同法九条一項)、建設大臣は、その指定する区間(以下「指定区間」という。)内の一級河川については、当該一級河川の部分の存する都道府県を統括する都道府県知事に、政令で定めるところにより、その管理の一部を行わせるものとされている(同条二項)。
また、河川区域は、法律上当然に河川区域となる「河川の流水が継続して存する土地及び地形、草木の生茂の状況その他その状況が河川の流水が継続して存する土地に類する状況を呈している土地(河岸の土地を含み、洪水その他異常な天然現象により一時的に当該状況を呈している土地を除く。)の区域」(同法六条一項一号)及び「河川管理施設の敷地である土地の区域」(同項二号)並びに河川管理者の指定行為により河川区域となる「堤外の土地(政令で定めるこれに類する土地及び政令で定める遊水地を含む。)の区域のうち、第一号に掲げる区域と一体として管理を行う必要があるものとして河川管理者が指定した区域」(同項三号)からなる。なお、右三号の区域は、右一号の河状を呈している土地や右二号のダム・堤防等の河川管理施設の敷地とは異なり、この区域は、堤外の土地等の区域のうち、河状を呈している土地ではないが、河川の流水を出水時において災害をもたらすことのないよう安全に流下させるため、支障となる行為等を規制するなど、河川管理者が、河状を呈する土地と一体的に管理を行う必要があるとして指定した土地である。
(2) 営造物の瑕疵の有無の判断基準
公の営造物とは、国又は公共団体により公の目的に供される有体物及び物理的設備をいうところ、国賠法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵の存否は、事故発生時を基準として、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用方法等諸般の事情を総合的に考慮しつつ、社会通念上要求されるべき客観的な基準に照らして当該営造物が通常有すべき安全性を欠いているかどうかを個別的具体的に判断すべきものであり、この安全性については、当該営造物の利用者又は第三者に対して危害を生じさせないように、外形的、物理的な安全性を具備しているかどうか、あるいは、当該営造物の通常の用法との関わり合いにおいて予想される危険性に対する安全性を具備しているかどうかという観点から判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四五年八月二〇日第一小法廷判決・民集二四巻九号一二六八頁、同昭和五三年七月四日第三小法廷判決・民集三二巻五号八〇九頁、同昭和五六年一二月一六日大法廷判決・民集三五巻一〇号一三六九頁等参照。)。
ところで、河川の管理については、通常は当初から人工的に安全性を備えた物として設置され、管理者の公用開始行為によって公共の用に供される道路その他の営造物とは異なり、河川が本来的に洪水等の自然的原因による災害発生の危険性を内包している自然発生的な公物であって、しかも、その安全性の確保は、治水事業を行うことによって逐次達成されて行くものであること、また、右治水事業には財政的、技術的、社会的な諸制約があること等の特殊性があり、このような特殊性とそれに由来する避けがたい諸制約の下で行われているのが実情である。
すなわち、具体的には、全国に多数存在する未改修河川及び改修不十分な河川について、治水事業を実施するには、莫大な費用を必要とするものであるから、限られた予算配分の下で、各河川につき過去に発生した水害の規模、内容等のほか、流域の自然的な条件、各河川の安全度の均衡等の諸事情を勘案し、それぞれの河川についての改修の必要性、緊急性を比較しつつ、その程度の高いものから逐次これを実施して行くほかないし(財政的制約)、また、治水事業の実施にあたっては、当該河川の水系全体の調査・検討を経て全体計画を立て、緊急に改修を要する箇所から段階的に、また、原則として下流から上流に向けて順次工事を進めて行かなければならず(技術的制約)、更には道路の管理における危険な区間の一時閉鎖等のような簡易、かつ臨機的な対応もできないこと等の諸制約が存在する。
したがって、右の諸制約によっていまだ通常予測される災害に対応する安全性を備えるに至っていない段階における河川の管理についての瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、河川管理における財政的、技術的及び社会的諸制約の下での同種・同規模の河川管理の一般水準及び社会通念に照らして是認し得る安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断されるべきものであるところ、改修計画に基づき現に改修中の河川については、右計画が全体として過去の水害の発生状況その他諸般の事情を総合的に考慮し、河川管理の一般水準及び社会通念に照らして、格別不合理なものと認められないときは、その後の事情の変動により未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、早期の改修工事を施行しなければならないと認めるべき特段の事情が生じない限り、当該河川の管理に瑕疵があるものということはできないと解するのが相当である(最高裁判所昭和五九年一月二六日第一小法廷判決・民集三八巻二号五三頁参照。)。そして、河川の管理の瑕疵に関する右の基本的な考え方は、改修計画が策定されていない河川又は改修が不十分な河川についても同様に妥当するものというべきであるから、このような河川についても、当該河川と同種・同規模の河川における河川管理の一般水準及び社会通念に照らして是認し得る程度の安全性を備えていれば、当該河川につき水害発生の危険性が特に顕著となり、早期の改修工事を施工しなければならないと認めるべき特段の事情が生じない限り、当該河川の管理に瑕疵があるものということはできないものと解すべきである。
(二) 河川改修計画の定め方と他の河川の改修状況
証拠(〈書証番号略〉、証人新井洋征、弁論の全趣旨)によれば、河川改修計画の定め方と他の河川の改修状況については、ほぼ被告国の主張(三の2の(一)の(2))のとおりであることが認められる。
(三) 鏑木川の整備状況の物理的瑕疵
(1) 鏑木川の概要
争いのない事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人高橋午治、同倉沢辰巳、同白銀雄、検証〔一、二回〕、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。
鏑木川は、関東平野の北端に位置する赤城山(標高一八二八メートル)南東斜面の中腹、標高五〇〇ないし六〇〇メートル付近を水源とする二本の沢が合流する付近にある群馬県勢多郡新里村大字板橋字山田地先の山田橋を上流端(標高三九二メートル)とし、同県佐波郡赤堀町今井地先の粕川との合流点を下流端(標高約一〇〇メートル)とする河川延長一二九〇〇メートル(流路延長約13.4キロメートル)、全流域面積約23.2平方キロメートルの一級河川である。そして、粕川は、更に約14.5キロメートル南下して、同郡境町上武土地先において広瀬川と合流し、広瀬川は同町平塚地先において利根川と合流しており、鏑木川は、利根川水系の第三次支川となる。
鏑木川流域の一般地質は、概ね深部は、秩父古生層珪岩(鏑木橋の東方約三キロメートル付近では地表に露われているところがある。)及び粘板岩が分布し、その上に、赤城山からの火山噴出物ないしその浸食による堆積物が覆っており、左岸域は主として固結度の高い泥流堆積層(大小の安山岩塊と火山灰質砂の混合物からなる。)が、右岸域には石質火砕流堆積層(火山礫、火山灰の混合物からなる。)が、上流域の川筋には層状の火山角礫及び凝灰角礫岩が堆積している。さらに川筋の低地を除き、その上の丘陵地表層には、厚さ約四メートル程度のローム層(赤土)が軽石層を挾んで広い範囲に分布しており、地勢は複雑である。
特に、鏑木橋右岸橋台背面の地質は、道路面から約2.2メートルまでは人工的に盛土をした土砂で、それより下部約6.6メートルの河床までは自然堆積物である泥流堆積層二層からなっており、二層とも透水性は小さい。左岸の地質は、道路面から約二メートルまでは人工的な盛土で、その下部に幅約1.7メートルの砂礫層、幅約3.1メートルの砂混じり砂質シルトないし粘土層の二層、それより深部は安山岩質の砂礫層からなっている。
なお、ローム層は、容易に浸食されてしまう土質である。また、鏑木川の流域全体の地形は、傾斜三ないし八度の起伏が少ない緩やかな赤城火山の原面が良く保存されており、谷地形はいずれも幼年期的で、谷筋では一五ないし二〇度、河床部付近では六〇度以上の急崖を形成し、鏑木川の流路は、全川にわたり、両側の平地との間に数メートルを超える段差を有する完全な掘り込み河道となっており、主としてその左岸には、河床より約一〇メートル前後の高所に平坦地が存在する段丘地形が発達している。また、全体として沖積地は少ない。
鏑木川の流域の利用状況としては、その上流の約半分が起伏のある赤城山麓の農山村地域を流れており(特に本件河川部分は山間の谷間を流れており、鏑木川を挾んで幅五〇ないし一〇〇メートルの樹林帯を形成している。)、また、鏑木川両岸の他の部分にも、杉林や竹藪その他の樹木が混在して生い茂り、河川沿いに人家が集中しているのは、鶴ケ谷橋付近から武井橋付近までの間と下流端の左岸部だけである。鏑木橋上流数キロメートルは杉林等が連続しており、鏑木橋上流約五〇メートル付近も、このような杉林が川岸に迫っている箇所であった。なお、鏑木川の水源より高地の植生については、標高一〇〇〇メートル以上は、ミズナラの原生林からブナを主な植生とし、イタヤカエデ等の亜高木性樹と百日紅等の低木性樹からなる自然植生帯に、一〇〇〇から七〇〇メートルまでは、保安林としての役割をも分担する自然林に、七〇〇メートル付近は、赤松を主体とする植林と自然林が混交する植生に、さらに下降すると、杉、楢、サワラ等が植栽された森林帯になっている。鏑木川の流域は、これらの植生の有する洪水の抑制作用のため、昭和二二年九月一五日に赤城南面を襲った集中豪雨(四〇〇ミリメートル)の際にも殆んど被害を蒙らなかったことからも明らかなように、その地形・地質は落ち着いていた。なお、新里村大字板橋付近の七月ころの気候は、高温多湿であり、南東の風が緩く吹き、比較的、雨量は豊富である。
鏑木橋より上流の本件河川部分の流域(8.16平方キロメートル)の開発としては、昭和四三年の拓産バラード(別荘地)、昭和四五年の赤城ロマンド(別荘地)、昭和五〇年の桐生カントリークラブ(ゴルフ場、1.3平方キロメートル)があるところ、各開発の状況(ただし、桐生カントリークラブについては、条例により定められた敷地内からの流水量を調整する施設の存在を考慮していない。)を踏まえて各施設の設置前後におけるピーク流量の比を推定すると、拓産バラードの施設の直下流の右流量比は変化がなく、赤城ロマンド及び桐生カントリークラブのそれはそれぞれ1.37、1.42であり、鏑木橋地点におけるそれは1.11であるから、鏑木橋地点においては、右開発により、顕著な流水の変化は生じていないものといえる。
(2) 鏑木川の管理主体
争いのない事実及び証拠(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。
鏑木川は、河川法四条一項の水系及び一級河川を指定する政令(昭和四〇年政令第四三号)により、上流端である群馬県勢多郡新里村大字板橋字山田地先の山田橋から下流端である同県佐波郡赤堀町の一級河川である粕川への合流点までの間、一級河川利根川の第三次支川として一級河川の指定を受けている。
そして、鏑木川の河川区域の指定は、昭和五〇年三月三一日群馬県告示第二二四号により、同川の下流端から同郡新里村大字鶴谷地区の区間につき河川法六条一項三号に基づく指定がなされているが、右区間より上流部は同号の指定はなされていない。また、鏑木川は、昭和四〇年建設省告示第九〇一号により、全川にわたって同法九条二項の指定区間に指定されており、したがって、鏑木川の管理は、工事実施基本計画を定めることや特定水利使用に関する権限を行うこと等の施行令二条各号に掲げるものは建設大臣が行い、それ以外の河川管理(例えば、土地の占用の許可、工作物の新築等の許可、河川工事の施行等)は、群馬県知事において、河川管理者である建設大臣の委任により被告国の機関として建設大臣の指揮監督を受けて行うことになるものである。
(3) 鏑木川下流の河川改修状況
証拠(〈書証番号略〉、証人新井洋征、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が、認められる。
河川において通常有すべき安全性とは、前記のとおり当該河川の置かれている地形、地質等の自然的諸条件や各種の諸制約の下で、通常予測される洪水を安全に下流へ流下させ、もって災害の発生を防止しうる構造を備えることにあり、したがって、河川改修工事を実施するにあたっては、上下流のバランスに十分配慮しながら、下流側から順次改修を進めて行かなければならないという技術的制約を課せられているため、利根川の第三次支川である鏑木川の改修についても、その下流に位置する広瀬川(利根川の第一次支川)及び粕川(利根川の第二次支川)の改修状況を考慮しなければならない。そして、広瀬川については、昭和二五年から中小河川改修事業としてその改修に着手し、支川粕川合流部までは、時間雨量七〇ミリメートルに対応できるように改修済みであり、粕川については、昭和二九年から広瀬川の計画規模に合わせて河川の改修に着手し、広瀬川合流点から約九キロメートル上流の華蔵寺橋(群馬県伊勢崎市鹿島町地先)までは改修済みであるが、華蔵寺橋上流から鏑木川合流点までの約五キロメートルについては、昭和五五年度から着手し、著しく河積を阻害している河川狭窄部の是正を優先して改修を進め、計画規模の約五〇パーセントの流下能力を確保し、段階的に治水安全度の向上を図っている。
このように、粕川の改修が完了していないため、本件事故当時においては、鏑木川の改修状況は、当面の整備目標に対応するような河川改修の計画はなく、主として現況河道の安定と河床洗掘防止及び河岸保護の目的で砂防工事や災害復旧工事等により各所に護岸等が設置されており、その設置率は約六〇パーセントであった。
(4) 鏑木川に必要とされる河川管理
鏑木川の状況は、前記認定のとおり、流域の大部分が山地や耕地という典型的な山岳河川であり、しかも上流部は農山村地域の山間の谷間を流れる掘り込み河道であるため、氾濫の危険性が少なく、鏑木橋架橋後現在に至るまで、河川が氾濫して流域の周辺に居住する住民に損害を及ぼしたことは皆無であり、このような鏑木川の状況等にかんがみると、客観的にみて鏑木川の改修の緊急性は余り高くないものとした被告国の判断は是認し得るものといえる。そして、河川改修事業が、前記のとおり、河川管理の特殊性及び諸制約の下で実施されていることや、前記認定の群馬県内における河川整備水準及びその進捗状況、更には鏑木川近傍に存在する利根川の第三次支川については、現在、当面の整備目標に対応するような河川の改修計画はないこと等の事情を総合すると、鏑木川全川にわたって、護岸築造等の改修工事を完了していなくとも、鏑木川と同種・同規模の河川の管理の一般水準と比較して、鏑木川の整備が特段遅れているとはいえないし、また、現に、鏑木川の護岸の整備率は、他の利根川の第三次支川より遅れている訳ではない。
したがって、原告らが主張するように、鏑木川上流において護岸築造の改修工事が完了しておらず、昭和六二年七月一四日夕刻の集中豪雨による鏑木川の流水の中に同川上流の天然河岸の浸食等により流出した杉木が含まれていたとしても、これをもって直ちに河川管理に瑕疵があったものとはいえない。
(5) 現実に改修を優先すべき特段の事情の不存在
さらに、鏑木川につき、他の同種・同等の規模の河川に優先して河川改修等、危険防止の措置を執ることを必要とするような事情が存在したかについて検討する。
証拠(〈書証番号略〉、証人天笠勇一、同岩崎徳次、同須藤實、同石原福二、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。
被告県は、道路法・河川法等関係法令の目的を達成するため、特別職の職員として、設置要領に基づき土木(河川)巡視員を設置し、道路・河川の維持・管理に関する事務を担当させていた。右河川巡視員は、設置要領第5に基づき、勤務日誌に勤務状況を記録し事務所長等の検閲を受けるほか、巡視の際、設置要領第4第1項第1号及び第2号に掲げる状況を発見した場合には、それぞれ河川現況報告書又は違反事実報告書を作成して当該区域を管轄する土木事務所長へ報告することになっていたが、鏑木川を管轄する桐生土木事務所では、河川現況報告書及び違反事実報告書の代わりに応急工事処理簿に記載する取扱いがなされていた。
また、河川巡視員とは別に河川法七七条、施行細則に基づき設置された河川監理員は、職務規程二条に基づき、上司の命令を受けた場合には、一級河川である鏑木川を巡視し、職務規程四条に基づき、河川巡視調書を作成することになっていたが、同川については、職務規程二条の「上司の命」を発する状況が生じなかったため、同条の巡視、ひいては河川巡視調書の作成はなされなかった。
このようにして、右巡視員らにより鏑木川流域の監視がなされていたものであるが、本件事故当時に、緊急に対応するような河岸の崩落、杉木等の流失の具体的なおそれは認められなかった。なお、本件河川部分は、前記認定のとおり、典型的な山岳河川であり、かつ、完全な掘り込み河道であって、氾濫の危険性が少ないうえ、鏑木橋架橋以降氾濫による被害は皆無であったこと、しかも、後背地には守るべき資産が少ないこと等を考慮すれば、鏑木川のパトロール及び点検は右の程度で十分なものであったというべきである。
なお、右の巡視等により危険性のないことが確認されていたほか、以前地元新里村の職員であった岩崎徳次が、本件事故前に鏑木川上流約三〇〇メートルに架橋された丸山橋の上下流域五〇ないし一〇〇メートルの範囲には、河岸の崩落、杉木等の流失のおそれないし兆候のないことを確認していた。
2 争点2(二)(本件段差及び本件継目部分の管理の瑕疵の存否)について
(一) 河川法二六条の許可工作物に対する管理の内容
河川法は、河川の適正利用と治水目的との調整を図るため、河川区域内の土地において工作物を新築し、改築し、又は除去しようとする者は、建設省令で定めるところにより、河川管理者の許可を受けなければならないと規定し(同法二六条)、また、河川管理者以外の者が、右許可を得て設置した施設を河川管理施設とするためには、当該施設を河川管理施設とすることについて河川管理者が権原に基づき当該施設を管理する者の同意を得る必要があると定めている(同法三条二項但書)。
このような許可工作物に関する安全性の確保については、河川管理者において、河川管理上考慮されるべき流域の地形、地質等の他の自然的条件と同様に許可工作物の存在を所与の条件として斟酌し、当該許可工作物を含む河川区間が全体として河川管理の一般的水準及び社会通念に照らして是認し得る程度の安全性で足りるものである。すなわち、河川管理者は、原則として、許可工作物それ自体の維持管理を直接行う必要がなく、河川管理の一環として許可工作物の管理をすれば足りるものであり、設置許可を得た者自らが河川とは独立したものとして管理すべきものである。そして、河川管理者が、許可工作物の維持管理に直接関与するのは、当該許可工作物に内在する瑕疵により河川災害が発生する恐れのあるときに限られるものと解するのが相当である。ところで、許可工作物についてはその新設の際にはその場所の治水施設の整備状況や技術的状況を踏まえて治水上支障とならないような計画・設計の下に設置されるものでなければ設置の許可をしてはならない(同法一三条一項)ものであるが、当該許可工作物の設置後の技術的進歩や河川工学の発展等により最新の技術的基準に適合しなくなることも当然に予測し得るところである。しかしながら、許可工作物が、一度、右要請を充たすものとして設置されたならば、技術的後進性を放置すれば堤内地に災害の発生することが具体的かつ明白に予測されるような特段の事情が存在する場合、あるいは、右許可工作物を含む付近の河川全体が河川管理の一般的水準及び社会通念に照らして安全性を欠くものと判断され得る場合は別として、直ちに最新の技術的基準に適合するよう改善措置を講ずべき必要性はなく、後日改築を行うのに適切な機会を捉えて右許可工作物をその改築時点での技術的基準に適合させるように改築すれば足りるものと解するのが相当である。けだし、このような許可工作物の改善に関しては、そのために河川管理者である被告国に与えられた権限として考えられるものとしては、先ず、河川法七五条による監督処分権があるところ、適法に許可を受けて設置された許可工作物について監督処分としての改善命令を発するには、同条二項一号ないし五号に掲げる要件を充足する必要がある。そして、許可工作物の構造が設置後において新しい技術的基準に適合しなくなった場合に考え得る改善命令の根拠法条は、同項五号であるが、新しい技術的基準ができたとしても、許可工作物の有する安全性自体に変化はないこと等を考慮すると、新しい技術的基準に適合しないの一事をもって「公益上やむを得ない必要があるとき」には該当しないものと解される。次に、災害復旧工事の施行の際になされる工作物設置の同法二六条の許可申請に対し、治水上必要であると判断される措置を同法九〇条一項に基づき許可条件として付する処分があるところ、この許可条件については「適正な河川の管理を確保するため必要な最小限度のものに限り、かつ、許可又は承認を受けた者に対し、不当な義務を課することとなるものであってはならない」(同条二項)と規定されており、このことに照らすと、小規模な災害復旧工事において、被災箇所を原形復旧することにより当該許可工作物の有していた従前の安全性が確保され得ると判断される場合には、その設置当時より技術水準が向上していることのみを理由として原形復旧以上の施設の改善を行うべき条件を付することは、過重な許可条件を付することになると解されるからである。
(二) 本件段差及び本件継目部分の許可工作物性と管理上の瑕疵の不存在
(1) 証拠(〈書証番号略〉、証人高橋午治、弁論の全趣旨)によれば、鏑木橋は、被告県が設置・管理する許可工作物であり、鏑木橋の橋台付近の玉石護岸は、鏑木橋架橋時において、当該道路管理者である被告県により、鏑木橋の保護を主たる目的として、設置されたものであり、また、ブロック護岸は、昭和五七年九月に群馬県を襲った台風一八号による被害を受け、昭和五八年二月一日から同年三月一五日までの間に実施した河川災害復旧工事により設置したものであること、そして、河川管理者である被告国は、これまで道路管理者である被告県から、鏑木橋は勿論、右玉石護岸及びブロック護岸(本件段差及び本件継目部分を含む。)を河川管理施設とする同意を得ておらず、したがって、鏑木橋及び右各護岸は、出願により河川区域内等に設置することとされた工作物であるに過ぎず、被告県の所有物として、被告県の管理に付されていたものであることが認められる。
(2) しかるところ、原告らは、単に鏑木橋、本件段差及び本件継目部分等の許可工作物が、工作物として存在し、その用途に供されるうえでの瑕疵が存在していたと主張するのみであって、鏑木橋、本件段差及び本件継目部分を含めた付近の鏑木川全体が、鏑木橋、本件段差及び本件継目部分の技術的後進性の故に、溢水、氾濫等水害発生の危険性が存在し、河川管理の一般的水準及び社会通念に照らして安全性を欠くものと判断され得るとするのに必要な主張立証をしておらず、そうすると、本件段差及び本件継目部分の設置・管理の責任を被告国に問う原告らの主張は、理由がないものといわざるを得ない。
3 争点2(三)(鏑木川流域の監視についての責任の存否)について
鏑木川については、前記認定のとおり、被告国において管理の瑕疵があるものとはいえないし、また、流域監視の態勢についても問題がなかったものである。
そうすると、被告国による鏑木川の流域監視が十分になされていなかったことをもって、国賠法二条一項の瑕疵であるとし、これを被告国の責任原因とする原告らの主張は、失当である。
4 小括
以上によれば、その余の点を判断するまでもなく、本件事故の発生について被告国の責任は認められないものというべきである。
三争点3(被告県の責任原因)について
1 争点3(一)(鏑木橋の設置・管理の瑕疵の存否)について
(一) 道路橋の瑕疵の判断基準
道路橋は、「道路と一体となってその効用を全うする施設又は工作物(道路法二条一項)」で公の営造物であるところ、道路一般の瑕疵の有無は、道路の位置、場所等の地理的条件、幅員、勾配等の道路の構造、形状、交通量、事故時における交通事情等の利用状況、その本来の利用目的、時間帯、降雨等の自然的条件、物理的欠陥の位置、形状等のほか、被害者の年齢、被害者の事故時の行動等の諸般の事情(ただし、本件においては、被害者らの利用態度等の被害者ら側の事情は問題とならない。)を総合的に考慮して、道路として通常有すべき安全性が欠如していたか否かを社会通念により具体的に判断すべきものと解される。また、ここにおいて要請される安全性は、およそ想像され得るところのあらゆる危険性に対応するものである必要はなく、具体的に通常予想され得る危険性に対応して確保されていれば足りるものと解される。そして、道路橋の瑕疵の有無については、当該道路橋の構造・形式及び交通の状況並びに当該道路橋の架けられる河川の水位、流量、水圧、その存在する地域の地形、地質、気象その他の状況を勘案し、死荷重、活荷重、風荷重、自身荷重その他の当該道路橋に作用する荷重及びこれらの荷重の組合せに対して十分安全なものであること(河川法一三条一項参照)、すなわち最低限の要請として落橋する危険性のないことを考慮せねばならないと解すべきである。
(二) 鏑木橋の構造及び付近の状況
(1) 争いのない事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人高橋午治、同稲葉信雄、同太田良一、同有坂信義、同岩崎徳次、同松嶋利明、検証〔一、二回〕弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。
鏑木橋は、昭和二七年秋ころ、従来の木橋(昭和二二年のカスリン台風により流失した従前の木橋に代えて架けられたもの。)が老朽化したことから、これに代えて、取付け道路用地(〈番地略〉)を取得したうえ、鏑木川を渡る道路橋として新たに架橋されたもので、鏑木川上流端から2.4キロメートル下流の標高約三〇〇メートルの地点に位置していた。その構造の詳細は不明であるが、当時は、明確な土木工学的な基準がなかったため、既存の類似した橋梁の設計図や内務省土木試験所が発行した標準設計図等を参考にしたうえ、概ね別紙図面一記載のとおりの構造(ただし、上部工の片勾配付舗装道路を除く。)をもって架橋されたもので、その橋台による橋桁の支持構造については、いわゆる「重力式」といわれる構造を採用し、上部工については鉄筋コンクリート製のT桁橋であり、橋桁の長さ約5.6メートル、橋幅は約5.9メートルあり、橋桁を支える橋台の高さは河水面から約五メートル(基底部から約6.85メートル)、左右の橋台間の距離は、基底部(但し、河水面ではない。)で約1.83メートル、橋桁部で約5.13メートルであった。また、橋台の取付け護岸(玉石護岸)は野面石や雑割り石による煉石積み(セメント、コンクリートで充填したもの)で仕上げられた。なお、架橋の際、橋梁面が従来の木橋のそれよりも一メートル以上高くなったことから、これに合わせて取付け道路に盛土をして道路面を嵩上げし、袖石積みをする工事を行った。
その後、被告県は、昭和四六、七年ころ、本件県道(当時は砂利道)の舗装工事を施工したが、その際取付け道路がカーブしていることを考慮して自動車等の走行上の便宜のため、鏑木橋の平坦な橋梁面を片勾配のあるものに改修した(以下「本件舗装工事」という。)。
(2) また、証拠(〈書証番号略〉、証人松嶋利明、原告大澤定秋、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。
鏑木橋付近の状況は、本件県道の状況も含めて、別紙図面二記載のとおり(ただし、右岸にも玉石護岸があり、下流左岸には間知ブロックのブロック護岸があった。)であり、本件県道は、大間々方面から鏑木橋までは大きく右にカーブする緩い下り坂になっており、また、同橋から宮城・子持方面に向けては左にカーブする緩い上り坂となっていたもので、鏑木橋は、本件県道が湾曲している頂点の窪地部分にあった。そのため、鏑木橋上の道路の横断面には前記のとおり片勾配が付けられていた。なお、本件事故当時、鏑木橋上にはガードレールしかなく、川幅も狭いうえ、鏑木橋付近には雑草が繁茂していたこともあって、川面の流水が見えず、一見して道路橋とは判断できないような状況を呈していた。
(三) 鏑木橋の瑕疵の存否
(1) 鏑木橋の設置の瑕疵
証拠(〈書証番号略〉、証人稲葉信雄、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。
道路及び橋梁の設置等に関する法的規制は、明治九年の太政官布告(第六〇号)以来変遷を重ねてきたものであるが、鏑木橋が架橋された昭和二七年ころにおける道路橋の建設についての法的規制としては、旧道路法に基づいて制定された旧々道路構造令及び街路構造令が存在したものの、右各構造令は、車道幅員や縦断勾配、設計荷重等の道路の構造規格の基本を定めただけで、現行示方書のような具体的な技術ないし設計基準を規定していなかった。そのため、当時の道路橋建設は、前記のとおり既存の類似の道路橋の設計図、内務省土木試験所が発行した標準設計図、過去の成果等に従って設計・施工された。
そして、鏑木橋の設計・施工は、具体的には、同橋の上部構造については、当時、いまだコンクリート橋に関する法的な技術的基準は定立されておらず、実務では、設計荷重については昭和一四年の鋼道路橋設計示方書案等を、鉄筋コンクリート部分の設計施工については土木学会の「鉄筋コンクリート標準示方書」、内務省土木試験所が数年毎に公表する「標準設計案」等が参考にされていたところ、鏑木橋の設計図が発見されないため、詳細は不明であるが、右土木試験所が昭和一七年に公表した「鉄筋コンクリートT桁橋標準設計案」の一部が参考にされたものと思われる。また、鏑木橋の下部構造については、上部構造以上に、全く法的及び体系的な技術的基準がなく、当時の土木工学における一般的基礎的な知識と長年の土木工事の実務経験に基づいて、適宜設計・施工されるのが普通であったから、鏑木橋の場合も同様であったものと推定される。
このように鏑木橋は、橋梁に関する昭和二七年ころの法令及び技術的基準に従って架橋されたものであって、しかも、鏑木橋の架橋後から本件落橋までの間、同橋を交通の用に供してきたことに伴う同橋への荷重、あるいは風雨、水流の影響に曝されながらも、後記(2)のとおり取付け道路の袖石積みの崩落があったのみで、他に何ら落橋事故ないしその危険性の発生等といった事態が生じるような問題はなかった。右事実に徴すると、原告らの主張する鏑木橋の構造が重量式のT桁橋の構造を採り、その橋台の形状が流木の係留の可能性を蔵し、その突出部分への水圧は相当なものとなり得るうえ、架橋位置も道路の曲線部・窪地部分であるという点を斟酌しても、鏑木橋の設計・施工は、右当時の基準によれば、問題がなかったというべきである。なお、本件落橋のように流木が係留したことを契機として落橋したとしても、そのことをもって直ちに瑕疵のある設計・施工がなされていたものとはいえないことは勿論である。
なお、鏑木橋の橋台部分が取付け護岸部分より河川中央部に向けて突出している本件段差の構造に関する瑕疵の存否については後に検討する。
(2) 鏑木橋の管理の瑕疵
仮に、鏑木橋が、「道路構造ニ関スル細則案」、「鋼道路橋設計示方書」等の昭和二七年当時の基準に則って架橋された合法かつ瑕疵のない営造物であったとしても、その後の交通量や自然条件等の変化に応じた安全性を保持しない限り、道路橋としての瑕疵を帯びることになると解するのが相当である。そして、本件落橋当時の道路及び橋梁に関する法的規制(特に道路・橋梁の維持、修繕に関するもの)の概要が原告主張(二の4の(二)の(1)の②)のとおりであることは、特に当事者間において争いがないので、これを再説すると次のとおりである。すなわち、本件事故当時、道路法三〇条一項、二項及びこれらを承けた道路構造令(昭和四五年政令第三二〇号)が制定されており、同令三五条三項は、橋、高架の道路等に関し、構造、設計自動車荷重を規定し、その他これらの構造基準に関して必要な事項は建設省令で定めることとしているが、詳細な技術的基準は、実際には建設省令でなく、道路局長、都市局長の発する通達である道路橋示方書によって規定されており、道路橋示方書は省令に準ずるものとされ、これに基づいて実務が行われている。また、道路法は、「道路管理者は、道路を常時良好な状態に保つよう維持し、修繕し、もって一般交通に支障を及ぼさないように努めなければならない」(同法四二条一項)とし、「道路の維持又は修繕に関する技術的基準その他必要な事項は、政令で定める」(同条二項)としている。もっとも、右政令が施行されていないため、その制定までの間は、従前の旧道路法三一条に基づく道路維持修繕令によるものとされているが、その後の道路状況、交通状況の進展に伴い、必要な道路管理の基準として、通達である道路技術基準が政令に代わるものとして運用されている(なお、直轄維持修繕実施要領は、建設大臣の管理に係る一般国道指定区間に関する通達であって、本件とは直接関係がない。)。さらに、道路協会は、昭和四一年に、車両の重量化・大型化・交通量の増大という時代の変化に適応するため、修繕要綱を刊行し、昭和五四年二月には、道路橋が、とりわけ架橋されてからの期間、使用年数に応じて、材料の疲労や不慮の事故のため部材の損傷が生じ易く、補修工事が必要となる場合が多く、かつ、補修工事は損耗の原因・程度・位地・橋梁を取り巻く環境に応じ、具体的な対応工事が必要なところから、当時の科学技術の水準に基づいた補修便覧を刊行しており、それらが道路管理者の重要な実務上の基準・指針となっている。
しかるところ、証拠(〈書証番号略〉、証人新井洋征、同曲澤晴男、弁論の全趣旨)によれば、昭和三一年に荷重体系がTL荷重へ変更されたり、昭和三三年に旧道路構造令、昭和四五年の道路構造令が各制定されたりして、道路橋についても各種の安全施策(例えば、歩道の設置、幅員の確保、道路傾斜等。)が要求されるようになったが、被告県は、鏑木橋について、昭和四六、七年ころ、本件舗装工事をしたほか、必要に応じて工事を施工してきたことはあるが、交通量の増大や鏑木川上流のゴルフ場開発等に伴う水量の増加等に対応し、安全性の確保を図るため改めて整備をしたことはないこと、本件事故当時、鏑木橋の道路及び取付け道路の表面には、ヒビ割れがでたり、取付け道路が傾斜していたし、昭和五七年の台風一八号によって鏑木橋の前橋方面(西側)の取付けの南側路側法面(袖石積み)が崩落したため、その補修工事をしたことが認められる。
しかしながら、原告らが指摘する前掲各法令や内部規則の定める基準は、営造物についての瑕疵の存否を判断するにあたり、一応の手掛かりとはなり得ても、もとより絶対的な基準であるとまではいえないから、単なる右法的基準への適合の有無により直ちに当該営造物の瑕疵の有無を決定することはできないし、また、原告らの指摘するところの右の各損傷及び構造上の問題点(重量式のT桁橋の構造をとり、その橋台の形状として、流木が係留し易く、その突出部分へ相当量の水圧が加わることや、架橋の位置が道路の曲線部・窪地部分にあるという鏑木橋の構造。)が、鏑木橋の架けられている鏑木川の自然的、地形的・気象的諸条件の下において、果して安全性を欠き本件落橋の原因となり得る瑕疵といえるのか不明確であること、鏑木橋が架橋後本件事故に至る約三五年間、年々増加かつ大型化する車両交通や幾多の豪雨・災害に耐えてきたこと、その間、本件落橋のような危険を予見・予知させる兆候が全くなかったこと、また、鏑木橋と概ね類似する周辺の橋梁につき、長期間、鏑木橋同様に何ら問題が生じていなかったこと等を併せ考えると、鏑木橋は、その後に変化してきた前記の交通量、流水量等に見合った構造と強度を一応充たしていたものであって、それ自体には瑕疵がなかったものといわざるを得ない。
(3) 保守点検作業の実施と瑕疵発見の有無
証拠(〈書証番号略〉、証人有坂信義、同石原福二、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。
被告県は、別紙点検要領に則して、次のとおり道路パトロールを行って鏑木橋の保守管理を実施し、本件事故当時、鏑木橋に異常のないことを確認していた。
すなわち、通常点検として、パトロール要領に基づいて、被告県の桐生土木事務所長の管理下に、県の職員であるパトロール要員が鏑木橋や本件県道を含む管内の道路及び橋梁について月二回(一、一五日)のパトロールを行っており、目視その他適宜の方法により、路面、路側部、橋等の構造物、道路標識、ガードレール等の道路の付属物の損傷又は損傷の誘因となる事象等の発見に努めるなどして異常の有無を点検していた。そして、何らかの異常が発見されれば、パトロール要員はその状況に応じて危険箇所について応急処置を執ったうえ、その模様を記録し、帰庁後直ちに班長から所長に報告し、一方、所長は、右報告に基づき、処置を要するものについては班長に命じて処置させる。また、所長は、特に必要のある場合には、本庁の道路維持課長にその旨報告し、指示を受ける(ただし、パトロール要領一〇条の規定する道路パトロール日誌は、本件事故当時を含めて昭和五九年以降記帳されていなかった。)。また、全国一斉の総点検は、昭和四三年の総点検開始以後、建設省の通達のある都度実施しており、異常時直後の点検としても、台風及び豪雨の後には、土木事務所管内全部について巡視、点検を行っていた(ただし、異常のない限りその結果を記帳することはなかった。)。なお、定期点検として、右道路パトロールが通常点検及び定期点検を兼ねていたから、改めて定期点検と称する点検は行っていなかった。
また、被告県は、設置要領に基づき、桐生土木事務所に土木巡視員(道路)一名を配置し、同所長の指揮監督を受けて管内を巡視し、道路等の危険箇所、要補修箇所等の発見に努め、もし該当するものがあれば報告すべきものとしていたところ、本件事故当時は、石原福二が道路巡視員として道路等の巡視を担当していた。
このような各点検・巡視によっても、鏑木橋については、右老朽、異常その他危険の兆候が報告された事実はなく、また、一般通行人や住民等からも右に類する通報又は修理改善の陳情もしくは苦情等もなかった。また、鏑木橋付近においては、昭和五七年に台風一八号による災害が発生した際に実施された異常時直後の点検においても、被災箇所を含め、鏑木橋を点検したが、特段の異常は発見されなかったし、昭和六一年九月一八日付け建設省道防第一〇号建設省道路局長通達に基づいて実施された全国一斉の総点検においても、鏑木橋に異常は発見されなかった。
2 争点3(二)(本件段差及び本件継目部分の設置・管理の瑕疵の存否)について
(一) 本件段差及び本件継目部分の設置等の経緯
証拠(〈書証番号略〉、証人新井洋征、同曲澤晴男、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。
被告県は、昭和五七年九月一二日から翌一三日にかけて県内を来襲した台風一八号による降雨の影響で鏑木川が増水したことにより、鏑木橋上流右岸の桑畑に接する天然河岸約三八メートル及び同橋下流左岸の鉄線籠(いわゆる蛇籠)護岸約二五メートルが決壊したため、鏑木川の他の河岸一一か所とともに、河川災害復旧工事として本件河川工事を実施したものであり、工期は、昭和五八年二月一日から同年三月一五日までの一か月半で、工事の内容は、河床安定のための鉄線布団籠の敷設と決壊した右天然河岸及び護岸にコンクリートの間知ブロックを練積みしたブロック護岸を設置するものであった。ただし、鏑木橋橋台付近の玉石護岸の部分は、当時の点検の結果被害を受けておらず、亀裂等の異常も存していなかったことから、災害復旧工事を行う必要がないものと判断し、これを実施しなかった。この結果、鏑木橋左岸橋台付近には、従前から存在した玉石護岸と鏑木橋の橋台との間の本件段差がそのまま残存し、一方、鏑木橋上流右岸には玉石護岸と修繕されたブロック護岸との間に、新たに本件継目部分が生じることとなった。しかしながら、鏑木橋上流の本件継目部分は、先ず、玉石護岸とブロック護岸との間に幅数十センチメートルの空隙を設けて工事をし、そのうえで、ブロック護岸と玉石護岸との間に段差、間隙が生じないように石とコンクリートで右空隙を充填するという工法が執られたため、本件継目部分の存在をもって、特に河水内の流下物が引っ掛かり易い形状になったという訳ではなかった。また、ブロック護岸の工事に用いられたコンクリートの品質、その施工方法、手順にも特に問題は存していなかった。
(二) 本件段差及び本件継目部分の瑕疵の存否
本件段差の形状が一般的に流木等の係留の可能性を蔵するものであることは、前記認定の形状から明らかである。しかしながら、本件段差のように橋台部分への流木等の係留可能性を帯有していることを捉えて瑕疵とすることは、橋台の構造が、河岸の取付け護岸面から突出する限り、これを瑕疵とすることになるし、そもそも橋脚を設置すること一般を瑕疵とすることにもなりかねない。したがって、橋梁の橋台・橋脚及びその取付け護岸については、単に流木等の河川の流下物が係留しやすいことから直ちに瑕疵があるとするのではなく、当該河川において具体的に予想される流下物の衝突による衝撃ないし係留による水流・水圧の増大等に耐え得る構造と強度を備えていれば、通常有すべき安全性を具備するものと解するのが相当である。そして、本件落橋は、前記認定の落橋の経過のとおり、流木等が本件段差に衝突した衝撃ないし係留したことによる水流・水圧の増大自体によって、橋台が倒壊し又は橋梁が流失したものではないから、杉木が係留した本件段差の構造をもって設置又は管理の瑕疵とすることはできないと解するべきである。また、本件継目部分については、上流川岸から流出してきた杉木等が係留したことを認めるべき証拠はなく、かえって、前記認定の本件継目部分の形状等にかんがみると、これに流木が係留したものとは認められないものである。
そこで、本件落橋において考慮すべき瑕疵について、さらに検討するに、むしろ当該河川において予想される河川の流下物が係留するといった事態をも視野に入れたうえで、取付け護岸である玉石護岸ないしその一部をなす本件継目部分が、鏑木川の水流・水圧に耐え得る構造と強度を備えていたかを問うべきものであるというべきである。
ところが、本件落橋においては、前記認定のとおり、本件継目部分が洗掘されたのか、玉石護岸の法面が洗掘されたのか、その具体的な洗掘箇所・洗掘態様を含めた本件落橋に至る機序・経過すら不明であるし、また、本件継目部分ないし玉石護岸を襲った水流・水圧が通常予想し対策を講ずるべき範囲内のものであったか、右の程度を超えるものであったかを判断することを可能にするだけの具体的な主張立証もなされていない。また、仮に玉石護岸がブロック護岸より強度において劣るとしても、その程度が護岸工として必要な強度自体を欠く劣弱なものであったのか、必要な強度を具備したうえでの相対的な弱さなのか、更には本件落橋時における洗掘箇所の異常ないし破損の有無等を判断することを可能ならしめるだけの具体的な主張立証もない。そうすると、本件継目部分ないし玉石護岸の部分が洗掘された結果から、右各部分の設置又は管理の瑕疵を推認することは、いまだ困難であるといわざるを得ない。そして、営造物の瑕疵の存在については、これを主張する者が主張し立証すべき責任を負うものと解されるから、結局、本件においては、本件継目部分ないし玉石部分が洗掘されるに至った点について、これを設置又は管理の瑕疵と認定し得ないことになる。
3 争点3(三)(保守点検作業についての責任の存否)について
道路管理者は、先ず適切な点検を実施し、道路・橋の現状を正確に把握しない限り、異常や危険を発見し、その原因を調査して必要な修繕を行うことは不可能であるから、道路の維持・修繕をなすうえで、点検することが最も基本的な義務となることは、原告らの指摘を俟つまでもないことである。しかしながら、前記認定判断したとおり、鏑木橋及び玉石護岸(本件段差及び本件継目部分を含む。)に設置又は管理の瑕疵を認めることができない以上、これらの営造物に対する巡回・点検の単なる懈怠をもって、国賠法二条一項の瑕疵ないし民法上の責任原因とする原告らの主張は理由がないというべきである。
なお、原告らは、被告県は、鏑木橋を管理し、維持・修繕を実施して行くうえで必要なその設計図を保存・備付けていないばかりか、単に〈書証番号略〉程度の橋梁台帳を備付けただけで、これに代わるような綿密な現況の調査等を尽くすこともなく放置していたと主張しているが、被告県が殊更右関係書類等を隠匿したとか、適切な調査や管理修繕義務を怠っていたことを認めるに足る証拠もないし、また、前記のとおり鏑木橋に瑕疵が認められない以上、このこともまた被告県の責任原因と捉えることはできないものである。
4 争点3(四)(新鏑木橋を道路として供用しなかったことについての責任の存否)について
そもそも、鏑木橋に瑕疵が存在するのであればともかく、前記認定のとおり、鏑木橋に瑕疵が存在しなかったのであるから、鏑木橋の瑕疵の存在を前提として、新鏑木橋を道路として早期に供用すべきであったとする原告らの主張は、失当である。
また、原告らの主張が、既に完成していた新鏑木橋の供用を徒に遷延させていたことを民法上の責任原因として捉えているものとしても、それだけでは、直ちに本件事故の発生について被告県の責任を追及しうる根拠となりうるものとはいえないから、これまた理由がないというべきである。
5 争点3(五)(本件河川部分につき管理の瑕疵の存否)について
すでに認定判断したとおり、被告国に対し、鏑木川の管理につき瑕疵があったとして責任を問うことができない以上、これを前提し、国賠法三条一項に基づき被告県の責任を問う原告らの主張も理由がないというべきである。
6 以上によれば、その余の点を判断するまでもなく、被告県の責任は認められないものというべきである。
四補足(争点4〔本件事故の予見可能性の有無〕について)
1 ところで、営造物の設置又は管理の瑕疵の認定については、被害者の救済を厚くするとの観点から、当該営造物により具体的な損害が発生したことが立証されれば、特段の事情のない限り、設置又は管理による瑕疵があったと推定できるとの見解も存在し、原告らの主張立証は、かかる考え方に立脚してなされているものとも解し得ない訳でもない。仮に右見解を採用するとすれば、本件においても、被告らが、具体的に瑕疵の評価を障害する事実、あるいは、本件落橋ないし本件事故の発生について予見可能性又は回避可能性がなくその管理をなし得ない場合であることを主張立証したときにはじめて免責されることになる。そして、被告らは、本件落橋ないし本件事故の発生について予見可能性の存しなかったことを抗弁として主張立証している(なお、被告国については、瑕疵の評価を障害する事実の証明もしている。)ので、仮に、鏑木橋及び玉石護岸(本件段差及び本件継目部分を含む。)につき設置又は管理上の瑕疵が存在するとして、本件事故の予見可能性があったかどうかを検討する。
2 争点4(一)(本件落橋の発生機序についての予見可能性の存否)について
(一) 予見可能性の判断基準
そもそも、予見可能性の有無が問題となるのは、これが結果回避可能性の前提として論じるべきものであるからである。そうすると、予見の対象については、結果の発生を含まなければならないものといわざるを得ず、それ故、当然に瑕疵の存在と結果発生との間の因果関係についても、予見可能性が要求されるものであり、また、予見の程度については、単に災害ないし事故が発生するかも知れないというような抽象的な危険性の認識ないし漠然とした不安感・危惧感ではなく、営造物の管理者をして適切な回避措置を執らせる契機となり得る程度に具体的なものであることを要するものと解される。そして、予見の時期については結果発生前の時点(厳密には、適切な回避措置を執り得るに必要な期間を考慮した以前の時点である。)となり、予見の基準となる知見については、営造物の管理者において了知し、かつ、利用し得るものである必要があるから、右予見の基準時において、それまでの実務経験や当時における科学技術水準に照らして、相当程度に首肯されたものである必要があると解するのが相当である。この点、被告らが主張するように、それまでの実務経験や科学技術上の確立された知見であると解するのは、狭きに失するものというべきである。
(二) 本件落橋の発生機序についての予見可能性の存否
前記認定に係る鏑木川のような山間部等を流下する河川においては、台風や集中豪雨等の影響で、河岸の立木等がなぎ倒されて河床に流れ出し、これが橋梁等に衝突あるいは係留することにより、その衝撃力や水流・水圧の変化に伴って当該橋梁を破壊ないし流失させる抽象的危険性を帯有していること自体は否定できない。
しかしながら、そもそも本件落橋は、そのような機序によるものではなく、前記認定のとおり、係留した立木等により鏑木橋上流部の河道が閉塞し、そのことによって生じた局所洗掘流のため、取付け護岸である玉石護岸(本件段差及び本件継目部分を含む。)の一部が破損し、その背後の土壤が洗掘されたことから、橋台が倒壊するといった機序を辿ったものであり、因果関係の予見可能性の有無が問題とならざるを得ないものである。
しかるところ、証拠(証人新井洋征、弁論の全趣旨)によれば、本件事故当時、河川災害対策あるいは災害復旧工事を策定・施工するにあたっては、河川災害を引き起こす主たる原因である土石流等に関する対策が中心となり、流木による作用の変化、殊に本件のような流木が橋梁付近の河道を閉塞して同所に局所洗掘流を発生させ、これにより橋梁が倒壊するという事態をあらかじめ予測して対応を考慮することはなく、また河川工学上も右の点に関する十分な研究もなされていなかったこと、ところが、平成二年六月から七月初旬にかけて九州地方を襲った集中豪雨により九州全土に土砂災害が発生し、特に熊本県の古恵川(一級河川太明川水系の一級河川で、上流端は、左岸・〈番地略〉、右岸・〈番地略〉、下流端・〈番地略〉)で流木が橋梁を閉塞したため、大量の土砂が古恵川から周辺に氾濫し、大きな被害を与えたことから、右事態を重視した建設省は、学識経験者からなる「流木対策委員会」を設置して、流木による流水作用の変化等の研究とこれに基づく河川管理上の流木対策の検討に着手したものであること、そして、鏑木川においても、鏑木橋の架橋後落橋まで流木による橋梁の倒壊という事故は一度も発生せず、また、その発生を予見できる状況は全く存在しなかったし、その他原因の如何を問わず、そもそも鏑木橋自体が落橋するような具体的な危険が生じたことはなく、危険を予測させるような状況も存在しなかったことが認められ、右によれば、被告らにおいて、本件落橋に至る機序(因果関係)を予見することはできなかったものといわざるを得ない。
3 以上によると、争点4(二)(本件降雨の雨量につき予見可能性の存否)を判断するまでもなく、被告らの責任を認めることができないものというべきである。
五結論
よって、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官鈴木航兒 裁判官板垣千里 裁判官佐々木宗啓)
別紙法的規制
道路及び橋梁の設置に関する法的規制の変遷は、以下のとおりである。
一 当初、明治九年の太政官布告(第六〇号)による国道県道の区別と幅員規定、明治一九年の内務省訓令(第一三号)による道路築造標準(国県道の築造標準)等が設けられていたに過ぎなかったが、大正八年、道路法(大正八年法律第五八号。以下「旧道路法」という。)の公布によって道路に関する統一的な法制が完成した。同法は、「道路ノ構造、維持修繕及工事執行方法ニ関シテハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」(同法三一条)とし、これを承けた内務省令として、同年、道路構造令(大正八年内務省令第二四号。以下「旧々道路構造令」という。)及び街路構造令(同第二五号)が制定された。しかし、これらは、活荷重(橋梁上を移行しつつ作用する荷重で、自動車(自動車荷重)及び歩行者等(群衆荷重)がこれに該当する。)を定めるだけで(旧々道路構造令一三条、街路構造令一七条)、現行示方書のような具体的な技術ないし設計基準を規定するものではなかった。
二 内務省は、大正一五年、同省土木局土木主任官会議の議決に係る「道路構造に関する細則案」を公表し、同細則案第二章において、初めて橋梁設計の基準を具体的に示した。同細則案は、いまだ細部設計に関する規定を欠いていたものの、橋の等級を一等橋(設計荷重一二トン)、二等橋(同八トン)及び三等橋(同六トン)の三区分とし、街路には一等橋を、地方部の国道には二等橋を、府県道には三等橋を架橋することなどを規定し、現行示方書の体裁を整えた最初の技術的基準であって、名称こそ「案」であったが、これに基づく実務が行われていた。
三 その後、昭和一〇年六月制定の内務省令である「道路構造ニ関スル細則案」(橋梁に関しては、有効幅員が接続道路と原則的に同一であることを要求している外、格別の規定はない。)を経て、昭和一四年に内務省令である「鋼道路橋設計示方書案」が制定された。同示方書案は、設計細目、構造細目の整備された鋼道路橋設計示方書としては最初のものであり、橋の等級を一等橋(設計荷重一三トン)、二等橋(同九トン)の二区分とした。同年中に、「鋼道路橋製作示方書案」が制定されたが、これは鋼道路橋について最初に製作細目を規定したものである。また、昭和一五年、内務省令である「電弧溶接鋼道路橋設計示方書案」が制定されたが、橋の等級及び設計荷重は右鋼道路橋設計示方書案によっている。これらの示方書案は、大正一五年の「細則案」と相俟って、戦前は勿論、戦後の復興期を含めて実務で用いられたため、この期間に架橋されたわが国の橋梁は、殆ど六トン(「細則案」による三等橋)ないし一三トン(「示方書案」による一等橋)の低い荷重で設計されている。
四 昭和二七年に現行道路法(昭和二七年法律第一八〇号。以下「道路法」という。)が制定され、技術的基準は政令に委ねられた(同法三一条一、二項)。
建設省は、昭和三一年、「鋼道路橋設計示方書」を制定し、橋の区分を一等橋及び二等橋の二区分に、荷重体系を現行のTL荷重(T荷重とは、活荷重のうち床版及び床組の設計に用いられる自動車荷重をいい、L荷重とは、活荷重のうち主桁の設計に用いられる自動車荷重をいう。)にそれぞれ変更し、ほぼ現行の荷重体系が整えられるに至った。なお、右制定と同時に、「鋼道路橋製作示方書」が、翌三二年には「溶接鋼道路橋示方書」が制定されたが、橋の等級及び設計荷重は右「鋼道路橋設計示方書」によっていた。
また、昭和三三年、道路法を承けた政令として道路構造令(昭和三三年政令第二四四号。以下「旧道路構造令」という。)が制定され、橋梁に関しては、設計自動車荷重が二〇トン又は一四トンと大幅に拡大された。(なお、その後の交通事情の変化に伴う全面的な見直しの結果、昭和四五年、旧道路構造令が廃止され、改めて現行道路構造令(昭和四五年政令第三二〇号。以下「道路構造令」という。)が制定されたが、橋梁に関しては、右設計自動車荷重の変更はなかった。)
五 建設省は、昭和三九年の前記鋼道路橋設計示方書等の改定を経て、昭和四七年、右示方書の体系化のため、右各示方書を、道路局長、都市局長からの通達である「橋、高架の道路等の技術基準(以下「道路橋示方書」という。)、Ⅰ共通編、Ⅱ鋼橋編」に改変し、その後、昭和五二年に「Ⅲコンクリート橋編」の、昭和五五年に「Ⅳ下部構造編、Ⅴ耐震設計編」の追加制定に対応する改定を行って現行示方書体系を形成した。
「Ⅲコンクリート橋編」は、従来、土木学会の「鉄筋コンクリート標準示方書」等を参考にして設計されていた鉄筋コンクリート橋について、建設省が、昭和三九年、「鉄筋コンクリート道路橋設計示方書」を最初に制定し、行政による示方書の体系化を開始し、昭和四三年に制定した「プレストレストコンクリート道路橋示方書」を、「Ⅳ下部構造編」は、行政及び学会ともに最も技術的基準の体系化が遅れていた橋梁の下部構造の技術的基準について、昭和三九年に「道路橋下部構造設計指針・くい基礎の設計編」を最初に制定して以来昭和五二年までの間に、道路橋下部構造設計指針(「指針」は示方書を補完する技術基準で、示方書同様に実務で運用されている。)として、「調査及び一般設計編」、「くい基礎の施工編」、「橋台・橋脚の設計編」、「直接基礎の設計編」、「ケーソン基礎の設計編」、「場所打ちくいの設計・施工編」、「ケーソン基礎の施工編」を相次いで制定して体系化を進めていたものを、それぞれ道路橋示方書に合本一体化したものである。
六 現時点における道路及び橋梁に関する基本的な法令は、道路法であるところ、同法は、「道路の構造の技術的基準は、道路の種類ごとに左の各号(省略)に掲げる事項について政令で定める」旨(同法三〇条一項)及び「橋その他政令で定める主要な工作物については、前項の規定による外、その構造強度について必要な技術的基準を政令で定めることができる」旨(同条二項)各規定し、これらを承けて、道路構造令が制定されている。道路構造令は、橋、高架の道路等に関し、構造、設計自動車荷重を規定し、その他これらの構造基準に関して必要な事項は建設省令で定めることとしている(同令三五条三項)。ところが、詳細な技術的基準は、実際には建設省令(道路構造令施行規則〔昭和四六年建設省令第七号〕でなく、右道路橋示方書によって規定されており、同示方書は省令に準ずるものとされ、これに基づいて実務が行われている。
別紙点検要領
一 点検の種類
1 通常点検
道路の通常巡回を行い、道路の状況や橋については、橋面の状況・路面の汚れ・ひび割れ・橋面の排水状況、橋梁の取合部、不等沈下の有無等を目視により点検するもので、一般的にはパトロールカーで巡回し、また、必要に応じ徒歩で行う。
通常点検の回数は、道路の種類(国道、都道府県道、市町村道)や重要性によって異なる。
2 定期点検
通常点検では確認し得ない細部にわたって、道路・道路橋の保全を図るために定期的に実施するものであり、点検項目は、次の五点である。
(一) 橋面の舗装
(二) 床板の状況、ひび割れ等
(三) 支承部の状況、土砂、ごみ、支承部下のコンクリートのひび割れ等
(四) 排水施設の状況
(五) 下部構造の状況、沈下、傾斜、基礎の洗掘、河床の状況等
3 総点検
危険箇所について、全国一斉に行われるもので、昭和四三、四五、四六、四八、五一、五五、六一年に、いずれも建設省道路局長の通達をもとに実施されている。
4 異常時点検
台風、集中豪雨、豪雪、地震、火災等の災害が発生したり、そのおそれがある場合に行うもので、右異常事態の発生の都度必ず行わなければならないものである。
別紙観測結果
一 一時間当たりの最大雨量
1 前橋地方気象台の観測結果
(括弧内の時間は、その時間までの一時間の雨量を表す。)
八間山・三一ミリメートル(午後六時)
榛名・三三ミリメートル(午後七時)
黒保根・三七ミリメートル(午後八時)
桐生・三四ミリメートル(午後八時)
2 建設省の観測結果
苗ケ島・七五ミリメートル(午後七時)
大間々・八八ミリメートル(午後八時)
桐生・四七ミリメートル(午後八時)
二 苗ケ島における昭和六二年七月一四日の降雨状況(建設省の観測結果による)
午前六時から午後五時まで・なし
午後五時から午後六時まで・二ミリメートル
午後六時から同一〇分まで・七ミリメートル
同一〇分から同二〇分まで・一一ミリメートル
同二〇分から同三〇分まで・一六ミリメートル
同三〇分から同四〇分まで・一八ミリメートル
同四〇分から同五〇分まで・一七ミリメートル
同五〇分から午後七時まで・六ミリメートル
午後七時から同一〇分まで・四ミリメートル
同一〇分から同二〇分まで・一四ミリメートル
同二〇分から同三〇分まで・三ミリメートル
同三〇分から同四〇分まで・四ミリメートル
別紙災害目録Ⅰ〈省略〉
別紙災害目録Ⅱ
(昭和二七年以降に鏑木川において発生した主な水害。括弧内金額は災害復旧工事決定額。)
一 昭和五三年七月一一日 河川(河岸決壊)一箇所(一三九万八〇〇〇円)
二 昭和五七年九月一二日 河川(河岸決壊)一二箇所(六六一四万二〇〇〇円) 道路三箇所(三八七万三〇〇〇円)
三 昭和六〇年六月三〇日 河川(河岸決壊)二箇所(二一八〇万二〇〇〇円)
四 昭和六一年八月四日 河川(河岸決壊)四箇所(一億四二〇五万七〇〇〇円)
五 昭和六二年七月一四日 (本件災害) 河川(河岸決壊)二〇箇所(一億六六四一万五〇〇〇円) 橋梁損壊一箇所(四六一万二〇〇〇円)
別紙図面三(断面図)〈省略〉
別紙
別紙